ASAMI, Hiroshi Lab. 浅見洋研究室

近況報告

上田閑照先生「お別れの会」献辞

 

上田閑照先生との「お別れ」に当たり、石川県西田幾多郎記念哲学館を代表して感謝と哀悼の言葉を申し述べます。

二〇〇二年六月八日、西田幾多郎記念哲学館の開館記念講演において、「昨日は西田先生の祥月命日でありまして、私もお墓に参らせていただきました」と前置きされた後、「今日はこの西田幾多郎記念哲学館に来まして、先生が無から蘇って、ここにこういう形で現れたという気持ちを強く持ちました。西田先生個人というだけでなくて、西田先生を焦点とした世界、さまざまな因縁や思いによって集まり、共に西田先生のことを考える人々が拓き出した世界が、このように姿を現して来たということで、私も大変感動しております」と話されました。その時、先生はすでに七六歳になっておられ、西田先生の享年を超えておられましたが、その後もご講演やご著書を通し、西田哲学会の初代会長として哲学館の活動を支え、導いてくださいました。また、哲学館主催の講演会や講座で、現在中核的な役割を担ってくださる講師の多くは、京都大学で上田先生の薫陶を受けた方々です。

来年度は西田幾多郎先生、鈴木大拙先生の生誕一五〇年です。その節目の前の年に、西田幾多郎記念哲学館、鈴木大拙館の開設と運営に大きなお力添えをいただいた先生とお別れをしなければならないのは残念ですが、両館は、それぞれに、そして相互に協力しながら西田、大拙両先生の生誕一五〇年を迎えようとしております。大拙館の理念は「自由、自然、静か」ですが、それらの理念は鈴木大拙館整備検討懇話会の席上で上田先生が語られた言葉に由来しています。先生が「石川の二哲」、「海の思想と山の思想」と語られた二人の思索が、先生の恩師、西谷啓治先生を介して先生に流れ込み、そして両館を通して石川、日本、そして世界へと浸透していくようにと願っております。

二〇〇六年四月に拙書『思想のレクイエム』を上梓した折、先生は帯に「死者と生きる」と題して《本書の「レクイエム(鎮魂歌)」は「死者たちと共に生きる」ことが生の秘儀であることを私たちに深く感じさせる》と書いて下さいました。幸いにも、哲学館には一昨年暮れにご寄贈いただいた先生のドイツ神秘主義関係の六〇〇冊を超える蔵書、エックハルト研究の草稿とメモ、おびただしい書き込みがある西田全集などが残されております。それらを整理し、公開することは私にとって先生への「レクイエム」を詠うことであり、「先生と共に生きる」ことだと受け止めております。そのように先生や西田先生と「共に生き、共に思索する場」を創造することは、私たちには分を超えたことでありますが、先生が残して下さった幾つかの言霊が残されている限り、私たちにも幾ばくかのことができるのではという思いを抱いております。先生が西田先生やマイスター・エックハルトなどと哲学的対話を続け、思索を展開してこられたように、非力ながら西田幾多郎記念哲学館において絶えず思索の場を創造する歩みを続けていくことをお誓いし、これまでのご厚情に感謝しながら「お別れの言葉」とさせていただきます。

 

二〇一九年八月二五日 石川県西田幾多郎記念哲学館館長・浅見 洋

本の紹介

426日から1か月 

かほくケーブルテレビで本の紹介をします。サンキュウタツオ「ヘンな論文」角川文庫

奥三河は桜が満開、木曽路は、この頃に冷え込みのせいか(雪がふりました)、まだほとんど咲いていませんでした。

主な行先は「いなべの梅林公園」「多治見のセラミックパーク」「中津川の満天星一休庵、そして鉱山博物館」「馬籠と藤村記念館」「妻籠」です。この頃例年出かける梅林公園は少し遅かったですが、相変わらず見事な景色でした。セラミックパークは素晴らしい施設でした。中津川の一休のお菓子はこの上なく上等です。鉱山博物館は秋田大学の鉱山博物館と並ぶくらいの規模でした。特に鉱山学が消滅しつつある頃に建てられたこと、哲学研究者の小林敏明さんのお父上が市長の時に設立に労苦されたということ、感激でした。馬籠、妻籠はヨーロッパ系の観光客が多く、にぎわっていましたが、その割には藤村の記念館がひっそりしていたのは残念でした。いい施設なのに。

平成も間もなく終わるので、気分を一新して、新しいHPを創りました!

関心のある方は訪れてください。

浅見 洋 ASAMI, Hiroshi

asami@ishikawa-nu.ac.jp

石川県西田幾多郎記念哲学館長石川県立看護大学特任教授

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