エンドオブライフケア
日本老年看護学会第27回学術集会 人生100年時代、ケアをデザインする
教育講演② エンドオブライフケアをデザインするために―ACPと死の人称性―
エンドオブライフケアをデザインするために―ACPと死の人称性―
日本におけるEOLケアをデザインするための最も新しい公的な基盤は厚生労働省が2018年3月14日に改訂した「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」であろう。そして、この【ガイドラインの改訂の経緯】には「近年の高齢多死社会の進行に伴う在宅や施設における療養や看取りの需要の増大を背景に、地域包括ケアシステムの構築が進められていることを踏まえ、また、近年、諸外国で普及しつつあるACP(アドバンス・ケア・プランニング:人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス)の概念を盛り込み、医療・介護の現場における普及」と記されている。
本講ではACPの意思決定モデル=情報共有‐合意モデルをフランス人哲学者V・ジャンケレヴィッチに由来する「死の人称性」の観点から考察する。ジャンケレヴィッチは『死(La Mort)』(1966年)で、死を「一人称の死(私=本人の死)」「二人称の死(あなた=家族等の死)」「三人称の死(彼/彼女/それ=医療者における死)」に区別した(=以下は筆者が付記)。この「死の人称性」を最初に医療・ケアの問題と関わらせてわが国に紹介したのは、柳田邦男『犠牲サクリファイス わが息子・脳死の11日』(1995年)の以下のような記述であろう。
「一人称(私)の死」では、自分はどのような死を望むかという、事前の意思決定が重要になる。多くの人々は、自分の死に無頓着で、ガンの末期になったとき延命治療を望むのか拒否するのか、脳死状態になったとき臓器提供をするのか断るのかといった意思表示を、きちんと文書で用意している人は少ない。それでも1991年に東海大学医学部付属病院で、“安楽死事件”が起きてからは、市民団体である日本尊厳死協会に「リビングウィル(生前の意思)」の手続きをする人が増えている。
「二人称(あなた)の死」は、連れ合い、親子、兄弟姉妹、恋人の死である。人生と生活を分かち合った肉親(あるいは恋人)が死にゆくとき、どのように対応するのかという、辛くきびしい試練に直面することになる。
「三人称(彼・彼女、ヒト一般)の死」は、第三者の立場から冷静に見ることのできる死である。交通事故で若者が5人即死しようとアフリカで百万人が餓死しようと、われわれは夜眠れなくなることもないし、昨日と今日の生活が変わることもない。医師にとって患者の死は、いかに熱心に治療を試みた患者であっても、やはり「三人称の死」の次元である。人生と生活を分かち合った肉親と死別したときの喪失感や悲嘆は、そこにはない。(203頁以下)
ここでの柳田の関心は、人の死を「三人称の死」として捉えがちな医療従事者に「二人称の死」に向き合う家族を配慮してほしいということにあった。そして、2018年のガイドラインで示されたACPでは三様に死に関わる(「死の人称性」をもつ)三つの人称の合意形成を目的としている。この目的の実現は人生の最終段階を過ごす個々の状況や社会的歴史的状況(例えば、感染症流行下)によって異なるであろう。とはいえ、EOLケアのデザインにおいて、「死の人称性」という哲学的理解を踏まえたACPは、決して見失われてはならない普遍的理念であると考える。