10月23日に『北國新聞』朝刊29面に「父幾多郎、悲しみの手記」という大見出しで、新資料「西田幽子」の紹介記事が掲載されました。
2023年10月24日
二〇二二年十月末、西田幾多郎の令孫上田薫氏の長男潤氏から石川県西田幾多郎記念哲学館に木箱と段ボール箱等で二十数を上回る大量の西田関係資料が寄贈された。本新資料「西田幽子」はその中に含まれていた。本資料はB四サイズの用紙に墨で書かれており、西田幾多郎が書いた箇所が十頁、藤岡作太郎が書いた箇所が六頁、白紙が六頁で、計二十二頁に表紙、裏表紙を付けられ、上部が紐で綴じられている。最初のページには少し大きめの文字で「西田幽子」と書かれており、それに続く西田の文書は全体で二九六九字、作太郎の文章は一九〇九字で、双方ともまるで原稿用紙のマス目を埋めたかのように整然と記されている
一九〇七(明治四十)年一月十一日付の西田の日記には「十時半頃 幽子瞑す」、同月十五日には「今日は幽子の記事を書いた」とある。本資料の西田幾多郎による記述箇所はこの時に書かれたものと推測される。